2009/06/01

横浜宣教史跡巡りレポート Part2


Part1より続く)東神奈川からJR根岸線に乗って、石川町駅へ。中華街にて昼食の後、午後の目的地である山手の外国人墓地に向かいます。ちなみに中華街近くには「横浜天主堂跡」という名の交差点があります。何でも中華街の朝暘門あたりに、幕末に建てられたカトリックの教会があったんだそうです。ちょっと余談。

 フランス山公園、港の見える丘公園へと山を登り切り、山手ゲーテ座と横浜気象台を通り過ぎると目の前は外国人墓地です。ペリーと共に日本へやって来たミシシッピー号の乗組員が葬られて以来、外国人墓地にはイギリス、アメリカをはじめ約40カ国の人々が眠っています。その中には文明開化以降の日本を支えた人も多く、宣教師も大勢葬られています。

 今年、横浜海岸教会の初代牧師であったJH・バラから数えて四代目の子孫に当たる方が来日され、外国人墓地に葬られているバラ夫人マーガレットの墓参を希望されていると聞き、来日に先立ち「お墓の清掃」ということで、私たち一行は平日には入ることの出来ない外国人墓地の中に入りました。

 一般見学者の通るルートは敷地の三分の一程度ですが、実際にはその奥にもたくさんのお墓が存在します。このあたりはフランス人、このあたりはドイツ人、ロシア人…、とだいたい同じ国の人で固まって葬られていて、墓地の奥まった区画にはユダヤ人墓所もあります。墓碑銘を見て「牧師先生がいたら、なんて書いてあるか読めたのにね」なんてことを言いながら墓地内を巡る我々。あちこち歩き回って、ようやくバラ夫人マーガレットの墓所にたどり着きました。

 マーガレットの墓の周りには、聖書の日本語訳に尽力したN・ブラウン、横浜共立学園の創立者ピアソン、クロスビー、青山学院初代院長夫人マックレーなど、日本への伝道・宣教のため故郷を離れ、異国の地であった日本で没した人が眠っています。彼らの伝道の働きがあって、聖書の御言葉を借りれば、彼らが一粒の麦として日本の地に死に、その実りとして今日の日本のプロテスタント教会に、私たちの信仰へとつながっていった。まだまだ十分な実りとは言えないけれど、実りの一粒として、宣教師の努力と、何より神様の御業に自然と頭の下がる思いがします。私たちは墓地の草むしりを行った後、お祈りをささげて外国人墓地を後にしました。

 今回は本や資料で知ってはいても、実際の宣教師の働きの一端をたどることの出来た、貴重な一日となりました。加えて青年たちの良い学び、交わりの出来た感謝の一日でした。

この史跡巡りを企画して下さった山本姉、つたないレポートの掲載を快諾して下さった永井兄に、改めて感謝申し上げます。

《写真は外国人墓地内のバラ夫人マーガレットの墓》

横浜宣教史跡巡りレポート Part1 


 5月某日、東京中会の青年会有志で横浜市内のプロテスタント宣教史跡を巡りました。当日はさわやかな気候に恵まれ、150年前の宣教開始の足跡をたどるのに相応しい一日となりました。その様子をPart1,2に分けてレポートします。

 午前10:30、京浜急行神奈川駅を出発。線路を挟んで山側には、開国時に米国領事館が置かれた本覚寺があり、少し歩けば旧東海道に出るというロケーション。まずは米国長老教会のJC・ヘボンが施療所を設けた宗興寺に向かいます。坂を下って見えてきた宗興寺は、一見お寺っぽくない、学校のような建物。しかし入り口と境内には、ヘボンがこの寺で診療を行ったことを示す碑が建てられています。彼は無料で貧しい人々を診察していました。ヘボンの治療は評判を呼び、はるばる江戸から治療を請いに来る人もありましたが、キリスト教の布教を恐れた江戸幕府により、施療所は開所からわずか5ヶ月で閉じられてしまいます。短い期間ではありましたが、境内に建てられた立派なレリーフを見ると、彼が「ヘボン先生」と土地の人に慕われたことが伝わってきます。

 宗興寺から歩いて5分ほど離れた旧街道沿いに、ヘボン、米国改革派教会のSR・ブラウン、後にJH・バラの宿舎となった成仏寺があります。建物は宣教師の住んでいたころとはまったく違い、入り口に「外国人宣教師宿舎」と書かれた碑が残る以外は、往時をしのぶものはありません。しかしここのお寺は周囲の史跡についての資料を持っておられるようで、ご住職の奥様らしき方が資料のコピーを下さいました。この日はあいにく来客中とのことで、もしこちらのご住職がお手すきだったら宣教師たちのエピソードが聞けたかもしれません。残念。

 街道をJR東神奈川駅方面へ向かうと、市民センターの隣に神奈川宿に掲げられた高札の復元模型を見ることが出来ます。江戸時代から明治時代初期、幕府や新政府がここに「キリシタン禁令」等、数々のお触れ書きを出しました。宣教師たちが来日した1859年は幕府のキリシタン禁令のもと、当然のことながら伝道はままならず、彼らが神奈川宿の寺院に寄宿したのも、幕府が宣教師たちの行動を監視するためでした。JH・バラの妻であったマーガレットの手紙によると、彼らはアメリカの東海岸を出発し、南アフリカの喜望峰を通り、半年かけてアジアへ向かったことがわかります。今日のように交通機関が発達した時代でもなく、目的地の日本は喜んで自分たちを迎え入れてくれる土地とは言い難い。それでもマーガレットの手紙からは、日本にいつか福音の種が蒔かれる希望を持って、彼らが暮らしていたことが伺えます。

 高札後を過ぎると、東神奈川駅へ続く道に出るまで旧街道の松並木が続きます。私たち一行は、150年前に上陸した宣教師たちがたどった道よろしく東神奈川を後にして、山手へ向かったのでした。

Part2につづく)

《写真は宗興寺境内のヘボン記念碑》

2009/04/26

2009年度の修養会は11月22・23日(日・月)に決定!

今年も青年部修養会の準備会が始動しました。

先日開かれました第1回の準備会において、新しい3役が決定するとともに、修養会のテーマが以下の2つに絞られました。
どちらも去年の「どうして教会にいくのか」の学びを、また違う切り口から、より実践的な視点から、深めていきたいという希望がこめられています。

1.キリスト者の生活
信仰生活と社会生活の両立は、私たち青年世代のキリスト者にとって大きな問題です。2分して考えること自体がそもそも間違っていると知りつつも、それは、ともすると信仰が深まるごとにさらに大きく、悩ましいものとなっていきます。
教会、学校、仕事、恋愛、結婚…!? さまざまな日々の状況の中で、キリスト者、特に日本キリスト教会に属する私たちに求めらる行動、意思決定とは。その規範を聖書のみ言葉に学びます。

2.教会と私
「教会はキリストの体」、「聖なる公同の教会」と私たちは告白します。しかし、私たちはその意味をどれだけ理解し、実践できているのでしょうか。
神様と私。牧師・長老・執事と私。信仰の仲間と私。教会の伝統と私。教会のおかれている地域と私。…さまざまな視点から、教会と、その中にいる私という存在の意味を、聖書のみ言葉に学びます。


準備会は現在、神奈川県地域の教会の青年を中心に行っておりますが、どなたにでも参加していただけます。興味のある方は先日各教会にお配りした準備会へのおさそいチラシをご覧下さいね。
ちなみに、次回の準備会では、テーマをより具体的に考え、講師の先生の選出を行っていきます。
その様子も、なるべくここで紹介していきますね。