2008/11/29

修養会2008

11月23~24日の2日間で、今年も東京中会青年部修養会が行われました。
(前回の「2008年度 修養会始動!」の記事から、一気に会の報告をすることになってしまいました。この更新の怠惰さをどうかお許しください。。。)
今年の修養会では、「どうして教会にいくのか」を主題にしました。みなさんは、子どもの頃から教会に通っていたという方は特に、自分がどうしてクリスチャンをやっているのか、疑問に感じて立ち止まったことはありませんか?勉強やサークル、仕事で日曜日も忙しくなり、教会に行けなくなってしまった人。教会に行かなくても変らない生活ができることがわかり、教会に行く意味を見失ってしまった人。多くいるのではないでしょうか。今回は、そんな中途半端にしか信仰を持つことのできない(ことが多い)私たち青年が、信仰の確信を持ち、確かな希望をもって生活に送り出される機会にしたいと、それをストレートな言葉で表したこのテーマが選ばれました。
講師として袋井北教会の金牧師をお迎えし、講演をしていただきました。先生はこの問いに真正面から取り組んでくださり、とても整理され、示唆に富んだ講演をしてくださいました。感謝です。
私などが要約しようとしてもかえって分かりにくくなるだけですが、一応私の能力が許す範囲でお伝えしたいと思います。

先生はまず、聖書が何を語っているのかという根本(例えば、神様は創造者であり私たちはその被造物であること。それなのに神様から離れて自分の力に頼ろうとする堕落した(放蕩息子的な)存在であること。など)を確認し、そこから主の祈りの中にも出てくる「(神の)御国」が来ることへの理解を通して、私たちの人生のイニシアチブを取るのはいったい誰なのか。自分自身?それとも…。つまり、私たちの問いは「どうして教会にいくのか」ではなくて、「なぜ教会にいかないのか」であるべきはずだと結論付けられました。
また一方で、神様にのみ従って信仰を行うことと、今現在の私たちの生き方(自分の力と汗とによって報酬を得て生活している状況(=堕落した状況))とは明らかに対立しており、この対立を解決しない限り、私たちの信仰は依然抽象的なものでしかない。という課題も指摘してくださいました。

講演のエッセンスは、すでに洗礼を受け、信仰告白をした参加者には当然のことのように感じられるものだったかもしれません。しかし、聖書の御言葉に忠実に、そしてこれだけ整理して講演していただいたことで、学びはより深められ、体系的な理解を得ることにつながったのではないかと思います。この「どうして教会にいくのか」という問いが、私たち自身への問いとしてではなく、今後私たちが教会内のより若い人、またはキリスト教に興味を持った未信者の方にそう尋ねられた際に、どうアドヴァイスたらよいのか。そういったシチュエーションへの示唆も込められていたように思われます。


…以上、まったくうまくお伝えできないことに愕然としてしまいますが(-_-;)、今回も講演を録音しておりますので、CD等を希望される方はご連絡いただければと思います。もし許可が得られるようならmp3等での公開も考えておりますので、こちらも、希望される方はぜひご連絡ください。また、もしテープ起こしにご協力いただける方がいらっしゃいましたら、お申し出いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

仙台の地からおはようございます。
先日はホントお世話になりました。
本日、教会に今回の青年会の報告を上げます。

knagai さんのコメント...

anikiさん、今回の参加、本当にありがとうございました。
仙台から4人も参加してくださったこと、今後につながる大きな励みです。
またお会いできる機会を楽しみにしています。