2007/11/23

「ハイデルベルク教理問答」の歴史

「修養会へのご案内」に掲載したハイデルの歴史を転載します。 宗教改革の歴史の中でも私たちの信仰に関わりの深い、重要な1ページです。ぜひご一読ください。

ハイデルベルクはドイツ南部のライン河の支流ネッカー川沿いに位置する都市です。かつては神聖ローマ帝国で最も有力で豊かな、プファルツの首都でした。1386年にドイツで最初の大学であるハイデルベルク大学が創設され、ヨーロッパの文化と学問の中心都市になりました。
16世紀になるとそのハイデルベルクにも宗教改革の波が押し寄せてきます。当時のプファルツ選帝侯(ライン宮中伯とも呼ばれます)はカルヴァン派の信仰を支持し、みことばに堅く立つ教会を築こうとしました。また、この地方はローマ・カトリックの弾圧からの亡命者たちの受け皿になり、様々な立場のプロテスタント信徒が混在する都市となりました。しかし、やがてカルヴァン派とルター派との間での聖餐理解をめぐる不一致が問題として浮上します。その結果、聖餐式の最中に乱闘が起こるまでの危機的状況に直面することになりました。
そのような状況の中、「敬虔王」として知られた選帝侯フリードリッヒ3世(在位1559年~1576年)は、改革教会の精神が生かされ、より明確に聖書に基づいた教理問答の必要性を認識しました。その作成は複数の人に委託され、特にハイデルベルク大学教授ウルジヌスと聖霊教会牧師オレヴィアヌスが中心となり、1562年にハイデルベルクで開催された宗教会議に提出され、翌1563年にドイツ語で第1版が出版されました。出版後には瞬く間にヨーロッパ中の言語に翻訳されました。
この非常に聖書的に作られている教理問答は、129問の問答から成り、52主日に区分されています。「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つのなぐさめは何ですか」という有名な問からはじまり、問2では、私たちが知るべき3つのこと(悲惨、救い、感謝)が示され、続く第1部(問3~11)では悲惨について、第2部(問12~85)では救いについて、第3部(問86~129)では感謝について述べられています。
日本でも多くの教会で、洗礼・信仰告白の準備や、祈祷会・青年会のテキストとして用いられています。すでにそういう経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。今回の修養会は、その「教理問答」に学び、宗教改革期の信仰者たちと同じように、激動する世界と歴史のただ中で今一度、私たちが依って立つべき信仰を省み、「聖書のみことばに堅く立つ」学びの時としたいと思います。

0 件のコメント: